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「C11190号」の前所有者は小澤年満氏でした。
(小澤年満氏はC57169動輪の寄贈者であり
「SLひとよし号」の
「小澤コレクション1」の提供者としても
名前が示されていますのでここでも
これに準じます)
先生は幼少のころよりSLに対する思いと
憧れは誰よりも強く
学生時代や教職員時代を通して一貫して
鉄道に深い情熱を注いでこられました。
時間があれば機関区などに行っては
情報収集に努めてきました。
傍ら、蒸気のみならず動輪にも思いを寄せ、
SLの休車廃車や解体の知らせが入ると
現地へ駆け付け
下見を行うこともありました。
時として適当な保存対象物があると役所や
教育機関などに
動輪保存の要請を行ってきましたが、
時代は無煙化が叫ばれる折でもあり
関係機関の理解が得られず、
果ては「ここは機関区ではない」と
一蹴されたこともあったとか。
それでも再三に渡って懇願を重ねた結果、
ある学校では「子供たちが動輪のように
強くたくましく、
心身を鍛え、人のためになるように」
という趣旨のもとに保存することが
できた学校もありました。
それから数十年の時が流れ動輪の表面には
鉄錆が現れ、
台座の枕木も腐食が進み管理方法が
行き詰まっていた矢先
社会人になった教え子たちが
台座から作り直し見事に復活した動輪も
ありました。
そのほか手持ちの動輪の一部も他の学校や
保存施設へ寄贈しているようです。
1974年(昭和49年)に休車となった
C11190は国鉄瀬田駅の側線に
留置されていました。
このような状況下にあってC11190が
解体されることを知り
再び関係機関へ保存運動を強く展開したが、
賛同を得ることは難しく徒労に終わった。
ついには止む無く自身で買い取ることを
決断する。
当時の紙面を見てみると個人としてはかなりの
高額で取得されているようです。
買ってはみたものの「こんなでっかい代物」
保存場所と運搬方法に頭を痛める。
一旦除籍された蒸気ゆえ法令点検を受け運搬は
瀬田駅より定期貨物列車で
八代まで牽引してもらっている。
保存場所は知人の労もあり八代駅から
セメント工場への引き込み線の終端に決着する。
晴れて安住の地に落ち着くことができたが
1年も経たない内に次なる問題が
発生する。
それはセメント工場から排出される石灰石の
粉末である。
あの鮮麗さを放つ真っ黒いSLが半年も経たない
内に白い機関車へと変身し
見るも哀れな姿になってしまったのです。
その後再び新天地へと移り気持ちも
新たに木造の機関車庫を作り大切に保存に
努めてきました。
しかしこれで一安心かと思われた矢先に
九州へ巨大な台風が上陸し、木造の機関車庫は
図らずも倒壊してしまいました。
しばらくはなすすべもなく放置していたが
次第に露天保存による劣化問題が
表面化する。
その為、SL全体を覆うビニールカバーを
園芸用ビニール製造会社に発注する。
担当者がサイズ計測の為、SLを見てびっくり。
本物のSL用のビニールカバーなど作ったことが
ないと断られる。
重なる熱意が通じ何とか仕上げてもらうが、
これには二つの欠点があった。
ひとつは九州は台風銀座で雨は凌げても
風には弱いこと。
二つ目は真夏の気温上昇でビニールが
溶融しやすいこと。
そして失敗。
結局保存の原点に戻り、ボランティアや
教え子の力を借りてコツコツと小まめに
塗装を繰り返し機関車を守り通した。
ただひとつ小澤氏が最後に取った手段が
この蒸気の再生を確実なものにしたと
言われている。
それは古い用途済みの学校給食用の大きな
鍋蓋を煙突に固定し機関内部を、
風雨や夜露から守り通してきたことである。
こうして20数年間に渡って手厚く
保存してきたが
個人で保存することにも限界が出始め
とうとう熊本の地を離れることとなった。
平成13年6月半ば主要部分に分解された
C11190は
2台の大型トレーラーに分載されて、
北の長洲港(熊本県玉名郡長洲町)へと
旅立って行った。
この日は朝から6月の冷たい淡い霧雨が
時折あたりをつつみ、
この霧雨をして190号の別れの
涙雨だったのかも知れない。
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最後の正月を迎えたC11190 |
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2019年9月KAB熊本放送で
「昔、熊本駅前にあった動輪は今いづこ」と
いう特番が組まれた。
最初に映し出された写真は熊本駅前に
設置されていた動輪で
時期は国鉄が民営化された昭和62年と
なっています。
立派な台座で「D5179」の銘板が
埋設されています。
番組スタッフが当時の関係者を探し出し
現在の保存先は「小澤氏宅」と八代市内の
「松高小学校」となっています。
このD5179の動輪がいつ、何処で
分割されたのか小澤先生に
尋ねたこともありましたが、
先生もご高齢でよく記憶してないとの
御返事でした。
現存する小澤先生宅の動輪と松高小学校の
動輪の刻印を調べてみると、
前者は「D511038」となっており
後者の小学校の刻印は抹消されていました。
他方、両者の経歴を見てみると
「D511038」は
熊本県内での走行実績はなく
「D5179」はほぼ終生九州管内で過ごし
最後は熊本機関区に配属され1971年に
廃車となっている。
可能性としては駅前の動輪「D5179」の
代替品として
「D511038」が抹消使用され
銘鈑は後付けで
「D5179」と表記されるに至った可能性が
あるようです。
一般に設置者側は蒸気から電化へと時代が
移る中
当該地域を走っていた最後のSLの功績を讃え
記念保存に
格別の心血を注いでいます。
しかるに輪鉄ファンのように
刻印に格別の拘りはないようです。
全国の動輪を巡れば刻印の抹消や
刻印と銘鈑が異なる場合など
時としてよくあることで
現、前、元所有者の意図するところが
大きいようです。 |
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小澤氏宅の動輪(下はその刻印)
日豊本線を走る「D511038」
松高小学校の動輪(刻印は認められません) |
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このほか小澤氏は兵庫県の鉄道蒐集家
「山根徹氏」にも寄贈されている。
山根氏の話では動輪は「C5036」と小澤氏から
聞いていたそうですが、刻印は抹消されており
確認できませんでした。
また九州内においても非常に貴重で
珍しい最大動輪のC55も寄贈されています。
加えて八代市の出町公園や水俣市の学校にも
寄贈動輪が展示保存されています。 |
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画面中央にはSLのリアナンバー58654が見えます |
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ショーケースには所狭しとミニSLが並んでいる |
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人吉駅に到着した「SL人吉」 |
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「SL ひとよし号」の車内にはショーケースが
置かれ
他のコレクションと共に小澤年満氏の
ミニチュアSLが所狭しと陳列されている。
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上記のほか小澤コレクションとして
鍾乳洞で有名な球泉洞
(熊本県球磨郡球磨村大瀬)の館内にも
「小沢コレクションⅢ」のコーナーが
設置されており、
写真やナンバープレートなどが
数多く展示されています。 |
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正月を迎えしめ縄飾り |
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C5510 |
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C5518 |
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C5519 |
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写真展示場の球泉洞(鍾乳洞) |
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過日「蒸気機関車で新婚生活へ出発」
という記事が目に留まりました。
SLの先頭にはタキシードとウエディング
ドレスで身を固めた男女が
にこやかな姿で
立っているプロモーション写真です。
ホームで結婚式を行った後
列車を使って結婚披露宴を行なう
のだそうです。
そのSLのナンバープレートを見ると
なんと「C11190」号であった。
この夢のブライダル列車を務めるのが
「C11190」号など他の僚友たちだそうです。
兎にも角にも古希も迎え
第3の節目にこの大役が回ってきたことは
実に光栄なことと
思われます。
何と強運で強靭なC11190号よ!
是非この大役を
頑張ってもらいたいものです。 |
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松本清張の不朽の名作「点と線」に
抜擢出演されるに至った「C11190」。
事件は発端の東京駅と現場の福岡市
(香椎海岸)とが点と線で結ばれ、
映像では博多駅での入線中のC11190号が
写し出されています。
雰囲気漂う往時の博多駅が再現されています。
また、走行中の190号やC571の姿も見受け
られます。
真に栄光あるC11190号の活躍でした。 |
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