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山 名 |
光 岳 |
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登山日 |
1998年8月 |
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登山口 |
長野県飯田市南信濃木沢 易老渡 |
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コース |
( ):区間所要時間 |
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1日目 |
小牧市 →(車)→ 易老岳(車中泊) |
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2日目 |
易老渡 → 5:00 → 易老岳 → 2:50→
4:50 9:50 10:10 |
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光岳山荘→0:15→光岳→0:15→光岳山荘13:45 15:00 15:15 5:30
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3日目 |
光岳山荘 → (5:45)→ 易老渡
5:30 11:15 |
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所要時間 |
14時間05分 |
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山頂は樹木に覆われ展望はない |
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「テカリ」を知ったのは「空木岳」に登った
時であった。
ある日木曽殿山荘で出会った30代後半
の青年からその存在を知った。
彼は学生時代から随分山へ登っているようで、
「テカリもいいですよ」と懐かしむ様に話し
そのあと「ちょっと大変ですが」と付け加えた。
以来この山が頭から離れることはなかったが
その山はあまりにも深く遠すぎた。
しばらくは他の山で時間を過ごしたが
3年後にその日はやって来た。
高さは2600m弱と南アルプスでは若干低目だが、
行程は気が遠くなるように長く険しい。
特に登山口の易老渡から主稜線上の
「易老岳」までは5時間に渡って登りの連続であり
あまりのアルバイトに人は「易老岳」を
「疲労岳」と揶揄しているとか。
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光岳 2591m |
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昨夜は登山口の易老渡で車中泊。
朝目を覚ますと10台ほど車が並んでいる。
夜遅く寝入った後に来着した車もあるようだ。
道は駐車場前から沢を渡るといきなり急登が
始まり稜線まで連続5時間の登りが続く。
登りきったところでコーヒを沸かし
遅い朝食となる。
一息入れて、再び先を急ぐ。
これより一旦最低鞍部まで下り再び登り返すと
ハイマツ帯へと変わり、
更に水場を抜ければ、その奥に遠慮がちな
ちっちゃな山小屋が現れた。 |
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トリカブトの群生地 |
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小屋で休んだあと「光岩」へ行ってみた。
白く怪しく光る岩塔で季節や時間によっては
もっと複雑な色合いを見せるのかも知れない。
山々を眺めつつ3年前「木曽殿山荘」で
教わった青年の話を思い出す。
これより南には2500m以上の山はなく
南アルプス最後の山登りと思うと別れが惜
しまれた。 |
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唯一の水場 |
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トリカブトの群生地 |
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この小屋も今年で営業を終えるらしい |
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新築中の光小屋 |
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白く怪しく光る光岩 |
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山 名 |
白山 |
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登山日 |
1995年6月/2000年7月 |
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登山口 |
石川県白山市白峰 別当出合 |
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コース |
( ):区間所要時間 |
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1日目 |
福井駅 → 別当出合(車中泊) |
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2日目 |
当出合→ 4:30→ 黒ボコ岩 →1:10→
5:15 9:45 9:50 |
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白山御前峰→ 2:30 → 殿ヶ池ヒュッテ
11:00 11:05 13:35 13:45 |
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→2:00 → 別当出合 → 勝原
15:45 |
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所要時間 |
10時間10分 |
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御前峰 標高 2702m |
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昨夜遅く登山口の「別当出合」に入る。
1993年(平成5年)より車規制が敷かれたが
この日は規制期間外であったので、
登山口の「別当出会」まで入ることができた。
今夜もまた車で一夜を明かす。
夕食後、早目に横になるが狭い車内はケージの
ようだ。
これが観光旅行なら悲劇であるが
登山であると自覚すると結構眠れるものである。
陽が落ちると外音と光は次第に遠ざかり
暗闇がひしひしとあたりを包む。 |
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白山山頂 2702m |
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観光新道 |
黒ボコ岩(2320m) |
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翌朝目を覚ますと外はガスで覆われ、
重苦しい朝を迎える。
しばらく様子をみるが回復を望めぬまま
重く沈んだ気持ちを引きずり入山する。
積雪を憂慮し尾根道の「観光新道」を選ぶが
下山後他の登山者の話では、
「砂防新道」のほうが歩き易かったようだ。
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馬のたて髪 |
殿ヶ池避難小屋 |
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ホワイトアウトの光の幻想の中を進む |
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「弥陀ケ原」は一面の大雪田でポールに
誘導されながら進む。
室堂センターからは40分ほどで
山頂の「御前峰」に達する。
結局10時間ほど悪天候の中を彷徨い歩いたが
ただただ疲労と困惑を極めた1日であった。 |
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白山神社より御前峰を仰ぐ |
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小松市郊外より |
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新穂高・千石平より白山を望む |
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この山の泣きどこは登山開始直後のゲレンデ
の登りである。
小石と砂利道が続き時間とともに体力
と気力が奪われていく。
どうにかゲレンデを通過すると美しいブナ林の
原始景観が広がりこれまでの疲れが
癒されます。
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シャクナゲ平 |
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残雪を抱いた白山 |
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勝原スキー場 |
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山 名 |
伊吹山 |
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登山日 |
1973.09/2008.08 |
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登山口 |
滋賀県米原市上野 三宮神社横 |
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コース |
( ):区間所要時間 |
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登山口 →1:00 → 三合目 → 2:00→
9:00 10:00 10:10 |
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→伊吹山→ 2:10 → 登山口 →米原
12:10 12:30 14:40 |
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距 離 |
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所要時間 |
5時間10分 |
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半世紀前の写真 |
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その昔、友人数人と登った唯一の山。
夜汽車に乗って最寄りの「関ヶ原駅」から
山頂を目指した。
随分昔のことなので当時の夜行列車を見つ
けるのに多少手間取った。
図書館へ行き復刻版を綴った中から
それらしき列車が見つかった。
該当すると思われた列車は大阪発23:50の東京行
普通で「関ケ原駅」着が午前3:05の
深夜であった。
(因みに東京着は翌日の13時45分で
真の鈍行列車であった)
駅からは月明かりを頼りに山頂まで歩き通した。
そんな時代もあったのかなと思い出す。
残っていたのはこの1枚の写真だけであった。
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2008年8月 |
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時代も移り山頂標識も「頂上」から
「山頂」へと変化している。
字体も変わり海抜は省略されている。 |
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大台ケ原 「日出岳」山頂 |
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この時期シャクナゲの大群落が見られます
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日出ヶ岳展望台 |
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日出ヶ岳山頂 1695m |
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